☆時間の長さ
今日、友人のYちゃんが電話をくれて、二時間もお喋りしてしまいました。彼女はウィ☆○*ムなので、十分以内の通話だと無料だそうです。で、九分五十何秒ごとに一旦電話を切る会話で二時間です。これは初めての体験でした。おもしろいことに、時間がすすむほどに、わたしも彼女も十分を短く感じるようになり、最後の方では、十分を三分くらいに感じていました。何回か十分を少しオーバーしてしまいましたが、彼女は「うん、まあ今のオーバーは二百円くらいだと思う。平気平気」ということでした。それより、なぜこうしてわれわれが、さっきからだんだんと十分を短く感じるようになってきているかというと、それはわたしたちが疲れてきているからで、疲れると、時間を短く感じることが、人間にはあるというのてす。赤ちゃんと老人では一日の長さの感じ方が違う。人生に疲れてない赤ちゃんは、老人よりずっと長ーく一日を感じていると彼女はいうのです。あー、それあたしもきいたことある。ちょっと違うかもしれないけど、大人と子どもでは一日の長さが違う。みんな子どもの時は、とっても一日が長かったという記憶がある。それはなぜかというと、物の名前を知らなかったから。名前を知らないものがたくさんあったから。名前を知らないと、それそのもののありようを、入ってくるままに受け止めるから、ひとつひとつのものから入ってくる情報がとても多い。例えば椅子は、「椅子」という名前と観念が染みついた大人にとっては「腰かけるもの」でしかない。けれど、椅子という名前を知らない子ども、たとえ知っていても、まだ椅子という既成の観念に染まっていない子どもには、とんでもなくいろいろに見えるし使うことも出来る。そんなふうに情報の総量が多いから、同じ長さの時間をとても長く感じていたということを、きいたことがありました。でもそれを、大人になってからこうして生きてる毎日の中で、時間を長く感じたり、短く感じたりすることに、当てはめて考えたことはなかったなあ。そうか、疲れてないときは、バイブレーションも細かいし、感性も子どもに近く生き生きしてるから、いろんなことから受けとる情報が多いので、充実して時間を長く感じるのね。退屈な時間を長く感じるという場合もあるけど、それとは別の「長く感じる」。充実してるから長く、というか、体験した時間を多く感じるというわけね。すごい発見。Yちゃんありがとう。またしゃべろーね。というわけで、これは二時間のいろんな発見のうちのひとつに過ぎず、いろんな気づきがあったのでした。2013年 5月13日
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