沼、ペットボトル、大事件


沼で、いつものように水色のトングと袋を持ってごみ拾いしてたら(その時は踊ってなかったw)、沼のはずれの仮設トイレから2歳くらいの小さな男の子を連れた、30代くらいの体格のいいお父さんが出てきて「すみません、これもいいですか?」と空のペットボトルを差し出した。

「あのー、わたしボランティアでやってるんで……お持ち帰りください」と言うと「あっ、」と言ってお父さんはすぐにペットボトルを引っ込めました。

これは相手にとっては何でもない事かもしれませんが、わたしにとってはとても重要な大きな出来事なのです。なぜかというと、

ほんの数ヶ月前のわたしであったなら、同じ事を言われて「え?えーと…あの…その…はぁ」とか言って、納得いかないままにペットボトルを受け取ってしまい、その事が家に帰っても、下手すると何日も氣分が悪く、釈然としない、下手するとそれをきっかけに鬱にまっしぐら、というようになっていたと思うからです。

でも、今回のわたしは、あまり考える事もなくさらっと「わたしはボランティアでこれをやっています。わたしがそれをあなたの代わりに捨ててあげるのはおかしなことです。わたしは皆さんが自分のゴミをとても捨ててはいけないような、美しい沼にするためにこれをやっているのです。そのペットボトルはご自分でお持ち帰りください」という意味の事を、もっと言葉は少なくシンプルにですが、相手に伝える事が出来たのです。

今までのわたしは、拒否したい、それはおかしい!と思うことがあっても、どう拒否したらよいかわからず、しどろもどろしながら受け入れてしまっていたことや、それがいつも自分を傷つけて来たこと、ぜんぜん自分を大事に出来ていなかった事も、はっきりとわかりました。

どうしてかはわかりませんが、とても大きな変化が、世界だけでなくわたし自身にも起こっています。

家に帰ってその事を話すと孜(夫)は「ペットボトルくらいいいじゃん」と言いました。わたしは一瞬泣きたい氣分になりましたが、すぐに、これがどんなに大切な、わたしにとっては大きな出来事だったかを、説明する事が出来ました。孜はすぐに理解して「それは悪いことを言ってしまったな」という表情になりました。(これも前ならちゃんと説明出来ずにブチ切れて大喧嘩ですw)

とにかくペットボトル一本ですがこの出来事を、一生わたしは忘れないと思いますw

お父さんと男の子と別れたあとに、たまにすれ違うお婆さんが話しかけて来て「いつもお礼を言おうと思っていたのよ。いつも本当にありがとう(ここで合掌までしてくれた)。でもどうしてこれを始めたの?」とわたしに訊きました。わたしは踊りをやっていること、ゴミを拾うという行為と、踊りの練習の相性がとてもよくて、沼がたくさんのインスピレーションをくれることなどを話しました。お婆さんは「本当に?それは素晴らしすぎる!でもどうか無理をしないで、楽しめる範囲でやってね」と言ってくれました。

WAVEのちから、
沼のちから、
踊りのちから、
沼のゴミを拾うという自分の魂を喜ばせる行為のちから、
などいろんな事が作用しているとは思いますが、世界全体の大きな変化と自分の大きな変化が、並行しているのが不思議で面白いです。

地球の波動そのものが高くなっているので、地球と一体であるわたしたちは、いろんな呪縛から解放されつつあるのかもしれないとも思います。


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