【アホな頭で再び次元上昇を考える】

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地球ぜんたいが五次元になると、四次元以下の波動のものは、存在しにくくなるという。

三次元から四次元になった時も、三次元以下のものは、存在しにくくなったのだろうか?

次元上昇とは、全体的な波動の底上げみたいなものだろうか?

わからないが、経済効率のために動物をこれでもかこれでもかと痛めつけるとか、自然を破壊しつくすとか、四次元から五次元に移行することで、だんだん弱まり、次第になくなっていく、という事は起こるのだろうと思う。

ところで、三次元から四次元への移行は、どのように起こったのだろう?

それは起こり始めたのはけっこう昔でも、成し遂げられた?のは、けっこう最近のことで、ひとつの見え方として、とても多くの人が、不思議なこと、不可視のことを、自然な事として受け入れる、という形で起こったのではないだろうか?

ほんの15年前には、目に見えるものだけを信じる唯物論的な人の数が、今より圧倒的に多かったように思う。多くの人が深いところでは、目に見えないものも感じ、信じてはいても、それは経済効率優先のムードの中では話題にしにくい。だから特定のグループやコミュニティの中でとか、ある限定されたシチュエーションの中でとか、井戸端会議的なラフな会話の中で、共有されるに過ぎなかったのではないか?だから宗教的なコミュニティや思想的なグループの役割りはとても大きかった。今はどうだろう?世界や存在の目に見えない部分なんて、もうすっかり市民権を得てしまい、当たり前になって来ていて、宗教や特定のコミュニティやグループに属さなくても、インターネット上や日常会話の、至るところで話題に出来る。

ほんの20年前には、不思議な世界のことを、四次元の世界と言ったりしていた。不思議という言葉と四次元という言葉は、けっこう近い意味で使われていた氣がする。今は四次元という言葉は、そのような使われ方をしない。空間の三次元が不思議でもなんでもないように、いつの間にか、四次元レベルの不思議は、もうあまり不思議ではないのだと思う。

今は、三次元から五次元への移行期とも、四次元から五次元への移行期とも云われていて、どっちなんだよ、と思うが、それは個々人の立ち位置とか考え方やイメージによっても違うのだと思う。でも、例外もあるかもしれないが、四次元から五次元への移行の方が、三次元から五次元への移行よりは容易で、起こりやすいのかもしれない。階段だって、梯子だって、四段目をとばして三段目から五段目に登るのは、不可能ではなくとも、なかなか大変なことだ。

別の言い方をすると、不思議なことは実は別に不思議ではない、という事がまずすっかり定着して当たり前になると、五次元への移行がいくらか易しくなるのかもしれない。五次元になると、シンクロニシティしか起きなくなるのよ〜と、母が言っていた。シンクロニシティじゃないことが起こると、逆になんでだ?なんでだ?と不思議に思うようになるのだろうか?w

闇の勢力とかディープステートとかいうものも、怒りは感ずるし、とっととなくなれよ、とは思うが、もしかしたら、このプロセスにはどうしても必要なもので、その役目を引き受けてくれただけなのかもしれない。

悪役を演じる俳優がいなければ物語は進行せず、舞台も上演できないし、映画も上映できないのだから。

しかし、それにしても地球の歴史は、あまりにもひどかったし、あまりにも残酷すぎたのではないだろうか?

深遠な目的があるからといって、許されるものではないような氣がして仕方がない。

もちろんもっとひどい、もっと残酷な平行世界も存在し、また、ぜんぜんひどくない、愛に満ち溢れた平行世界も存在しているのだろう。

台本を書いているものは、書かれているものより、一次元上にいるので、書かれているものを、生かすことも殺すことも、思いのままだ。

だからといって、やっていい事と、そうでないことがある。その境界を、とっくに踏み越えている残酷さが地球の歴史だ。

それが無限個の地球の中のひとつの地球での出来事であったとしてもやはり、

存在していいことと、そうでないことがあるだろう?

存在していいことと、そうでないことがあるだろう?

という憤りに息がつまり、

自分が原因であるなら自分に怒り、

人が原因であるなら人に怒り、

出来事が原因であるなら出来事に怒り、

神が原因であるなら神に怒り、

宇宙が原因であるなら宇宙に怒り、

法則のようなものが原因であるなら法則のようなものに怒り、

結局は怒りの対象がわからないまま、

怒って、怒って、

世界も、自分も、燃やし尽くすほど、

わたしは長い間、怒っているのだ。

喉が破れるほどわめきちらし、

破壊できるものをすべて壊し、

手足が抜けてしまうほど暴れ、

それでもおさまらないほど、

わたしは怒り狂っているのだ。

その怒りを否定し、見ないようにしていた。

氣づかないふりをして来た。

だからいつも疲れきっていたのだ。

それほどの怒りを、

ないものとしておくには、

エネルギーのほとんどが必要だから。

しかし怒りに氣づき存在を認めると、疲れきっている事は変わらないが、なんて静かな氣持ちになれるんだろう?

もう立ち上がる力も残ってないが、不氣味なほど、静かで平安な氣持ちになれる。

わたしの怒りで破壊されたものたちが、静かに、無限の空間に漂っている。

わたしを責める事も恨む事もなく、

それはただそこに浮かんでいる。

癒やしという言葉も、

許しという言葉も、

愛という言葉も受けつけず、

闇でもなく、

光でもない無限の中に、

それは浮かんでいるように感じる。

無限の中に。

無限のエネルギーのようなものとして。

認識されたものはすべて過去だという。

ここは五次元に近づいているというか、すでに五次元なのだろう。

そして六次元で七次元で八次元で九次元で………

ここは、無限個の地球の中のひとつの地球。

わたしがビッグバンを起こした。

あなたがビッグバンを起こした。

殺処分される犬や猫たちも、

屠殺される牛や豚たちも、

わたしの腕にとまって叩き潰される蚊でさえも、

すべての存在は自分でビッグバンを起こして自分の宇宙に存在している。

それを思い出した瞬間に悪夢から目覚める事ができるなら、

それが次元の上昇であるなら、

みんな、誰もが、苦しんだ価値があり、

取り返しのつかないことも何ひとつ存在しないのだろう。

わたしの怒りはそれでもおさまらないが、

それならその炎で自分の宇宙を照らすしかない。

photo 栗村 新
at Bitches Brew


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