四次元とは地獄の別名かもしれない

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photo 牧野克彦

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photo 加藤英弘

今日という日は、四次元は地獄なんだと、はっきり認識できた記念すべき日です✨

こう言うと、何か嫌なことでもあったのかと、思わせてしまうかもしれませんが、特に何もありませんでした。ただ、それをきちんとわかる日がやって来たというだけです。

こう言うと、絶望しているように思わせてしまうかもしれませんが、それも違います。何故なら、常に四次元にいるわけでも、四次元からは極めて出にくいが、脱出不可能なわけでも、ないようだからです。

今日一日中、わたしには、わたしを否定する心の声しか聞こえませんでした。こんなことは別に珍しいことではありません。またそういう日がやって来たか、くらいの事です。でも、今日はわたしの受け止め方や反応が違いました。

わたしはわたしを否定する声にも、氣持ちにも、まったく逆らう氣が起きず、ただそれを眺めて、感じていました。

昼頃一度、イライラして、10分くらい、行動が粗くなり、目の前にはいない人を罵ったりもしましたが、それもただ誰か人のせいにしたいだけなんだなぁ、とすぐにわかったので、そうする自分を眺め、いやー、ほんとうはね、自分の○○○○が、氣にいらないだけなんだよね、ごめんね、と家族に謝ったりして、ため息をついて自分を観察していました。

しかし何かが違う。こんなことは珍しくないのに、起こっている事は珍しくないのに、何かが違う、何かが初めてだし、何かが起ころうとしている。

という感覚が、ずっとありました。だいたい自分も自分の人生も完全に否定しているのに、ため息をつくくらいで、おもしろければ笑ったりもするし、うずくまって唸っているわけでもない、泣いているわけでもない、というのが奇妙ではないか?

そして夜になり、夕飯を作ろうにも、まだみんなお腹が空いてないと言います。じゃあ何か勉強しようか、それともレシピの編集をしようか、仕事か家事をしようか、と思いましたが、どれも到底無理そうなので、踊ろうと思いました。でも踊る氣分でもないので、何か踊りの為になる練習をしようと思いました。

けれど何を練習したらよいかわからなかったので、夫のところに何を練習したらいいか、意見を訊きに行きました。

だいたいこれこそ奇妙な事なのです。今までの行動パターンにはないことです。こういう時は、ただもんもんと苦しむものであって、踊りの練習をしようとか、ましてや人に、ましてや夫に、何を練習したらよいと思うか、訊きにいったりはしないものです。

夫は読んでいた本を横に置き、ちょっと嬉しそうに、じゃあ、この間の続きをやろう、と言いました。

わたしは非常によくない状態なのに、その作業にはどんどん引き込まれて行きました。低めの姿勢からほんの45度くらい向きを変えて起き上がる、それも起ききらない、というわずかな動きを、延々と1時間、あーでもない、こーでもないと、それは細かくやるのです。以前ならイライラして、投げ出すところですが、それがとても面白いのです。

そして終わった時に、なぜ今日は、この部屋に踊る空間があると感じたのだろう?夫が箒ではき掃除をしてくれたからというのもあるが、普通は掃除がしてあってもこんなに広くは感じないものだ、と思い、そう言いました。

空間とは不思議なもので、畳半畳くらいでも、いくらでも動ける踊れる空間に感じることもあり、逆に駆け回れるくらい広くても、狭く感じることもあります。特に生活空間というものは、いろいろ精神的に重い物々に溢れていて、広くは感じにくいものです。

そんなことを夫と話していました。

その時、時間というのは一次元ではなくほんとうは三次元なのではないかいう夫の説をこの間娘と聞いて、それについて三人で話したことを思い出しました。

時間もまた、10分でもとてもいろいろな事が出来る充分な時間に感じることもあれば、何時間あっても足りなく感じることもあります。

一分をとても長く感じることもあれば、1時間でも短く感じることもあります。

空間というのも、もしかしたら縦横高さの三次元ではないのかもしれない、と思いました。もし三次元のままなら、いつも同じくらいの広さに感じるはずです。

意識の持ちようによって、空間も一次元、二次元、三次元、四次元、五次元、それ以上に変化し、

時間も一次元、二次元、三次元、それ以上というふうに、変化するのかもしれない。

十一次元まではある、と、云われているそうですが、空間と時間の他にいろいろな次元がつけ加わって十一次元になるのではなく、

もしかしたら、時間と空間の次元がどんどん増えて、十一次元になるのかもしれないと、思いました。

とりあえず、五次元というものが垣間見えたところで、四次元は地獄である、ということを完全に受け入れる事が出来たのかもしれません。

お釈迦さまははるか昔に

「生きることはそのままでは苦である」

と仰ったのは、そういう事だったのか?

四次元というのは、四次元のままでは苦である。

自らの意志で、空間を三次元以上にしたり、時間を一次元以上にしない限り、苦でしかないよ、と。

とりあえず、何かを一所懸命やったり、集中したり、ハマって入り込んだりすると、空間や時間は次元を増すようだ…………

これが一時的でなくなるのを、次元上昇といい、地球ぜんたいにそれが起こるのを、アセンションとか、いうのかもしれない………

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